サトリズムTV名古屋公演会に思う

先週あったサトリズムTV名古屋公演会に参加して、とても楽しかったです。

浅村さんがガチのミュージシャンとは知らなんだ。サトリズムTVの部屋の壁にギターがいくつか見えるので、てっきり楽器屋さんかと思ってました。(笑)

今回の講演会での憲法改正のお話は、まさに正論で、全くその通りだと共感しました。緊急事態条項が危険だという話は知っていましたが、「政府と国民は協力して」という文言が改正憲法に散りばめられているというのは知らなかったので、来た甲斐がありました。以前から気になっていた「そもそも日本民族憲法はふさわしいのか」という質問と、「憲法の議論をするには、それなりに土壌を改良する必要があるのではないか」というコメントをさせてもらったのですが、この場を借りて、もう少し補足したいと思います。質問の中では、「憲法自体、西洋文明の借り物であり、先進国に見せかけるためのアクセサリ-でしかない」といった旨の発言をしたのですが、実は、日本の歴史でほぼ同じことをやった時期があります。それは、奈良時代のことで、中国(隋)の圧倒的な文化と軍事力に恐れおののき、中国から文化や政治体制を取り込み、律令体制という天皇がすべてを所有する体制をつくりました。しかし、それでは誰も新しく開墾する人がいなくなってしまうので、墾田永年私財法という、私有財産を認める制度を導入したことにより、結局この律令体制は骨抜きとなり、平安時代には荘園制度へと変わっていきました。今、まさに同じ状況にあると思うのです。江戸時代の終わりに西洋の圧倒的な文明と軍事力に恐れおののき、明治には西洋式の政治体制を導入し、憲法を持ちました。でも、やはりなんだかんだ言って、しょせん借りものなので、うまくはいきませんから、ちょっとづつ手直ししていくうちに骨抜きになっていくのだろうと思います。「政府と国民は協力して」という文言が、まさに、墾田永年私財法とおなじく、決定的な打撃となるだろうと思うのですが、このことは、次回以降説明したいと思います。このように日本の歴史を振り返れば、現行の憲法も同じ運命をたどるであろうということは予想されるのではないかと思います。しかし、なにも歴史の必然だからと言って憲法の議論が無意味だというのではないのです。なんだかんだ言っても、現在は憲法に基づいて政治が行われているわけですから、浅村さんの言う憲法議論はとても大事であることに変わりはありません。ただ、もっと長い時間のスパンで大局的に物事をみて、長期的なヴィジョンをもつことで、憲法改正の議論を有利に進めることができるのではと思う次第です。

現在、私たちを取り巻く、食糧危機、エネルギー危機、経済危機、グレートリセットといった難題に直面し、サトリズムTVの視聴者の多くは危機意識を持たれているかと思いますが、私の切り口で、一体これはどういうことなのかを、これ以降、解説していきたいと思いますので、興味を持たれた方は、ぜひ、ご期待いただければと思います。

何分浅学の身にて偉そうなことを書くのは恥ずかしい限りですが、講演会で出会ったYさんとTさんから、SNSなどで情報発信をすることを薦められました。同じ思いを共有する者同士でのコミュニティの形成に、少しでもお役に立てるのであれば、うれしい限りです。